2020.2.10

 今年度も、あと一ヶ月半となりました。 子どもたちの成長の姿はいかがでしょうか。 学級は、卒業や修了に向けて力強く前進しているでしょうか。

 春の近づきを感じるこの季節、学級には子どもたちの絆を深めた姿を見ることができます。 思わぬ成長を遂げたその姿に、教師という仕事の喜びを感じる時でもあります。

 しかしまた、この時期は、思わぬ形で子どもたちの問題が吹き出してくる時期でもあります。 学習に喜びや確信を持てなかったり、学びを放棄したり、近づく「学年の終わり」を漫然と待つなど、ある種の「あきらめ」がクラスに広がることも。

学級が終わるその日までモチベーションを維持し続けていくために、何を仕掛けていくか考えてみましょう。楽しい道徳の授業にも期待がかかります。

2020.1.4

すべての教科学習を支え、つなげている「言葉のちから」、 子どもの生活や人とのつながりを支えている「言葉のちから」、 「主体的・対話的で深い学び」をつくりだすのも「言葉のちから」。 しかし、その「言葉のちから」の低下は深刻です。

2017年、国立情報学研究所の調査で、子どもの読解力の低下の深刻さが指摘されました。

2019年12月に公表された「PISAの調査結果」でも、日本の子どもたちの読解力が、平均より高いグループに位置しているものの、前回2015年調査よりも平均得点及び順位が低下しているとのこと。 

「特別の教科 道徳」を含むすべての教科で「言葉のチカラ」を高めることを意識した指導が求められています。

2019.12.24

 報道によると、21日、安倍首相は「2019年報道写真展」(東京写真記者協会主催)を観賞し、「日本が世界の真ん中で輝いた年になった」と述べました。 また、「来年はいよいよ東京五輪・パラリンピックが開催される。未来を見据えて新しい日本の国造りを進めていきたい」とも。

 本コメント欄掲載の「2017年4月8日TBS報道特集」で俵義文氏が述べているように、安倍氏の頭の中は修身の国家観で支配されているかのようです。修身のDNAを受け継ぐ「特別の教科 道徳」が、安倍氏の言う新しい国づくりにどのように位置付くものなのか、しっかりと見ていく必要がありあます。

 今月、スペインで開かれたCOP25(第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議)で、「気候行動ネットワーク」(CAN)は、日本に2回目となる化石賞を贈りました。化石賞は地球温暖化対策に後ろ向きと認定された国が選ばれる不名誉な賞で。その直後に「世界のまん中で輝いた…」?  

とんでもない、世界のまん中で大恥をかいたというのが本当のところです。それを打ち消そうとするかのような強弁は、子どもたちにまねさせたくありません。道徳的に見ても検討する必要があります。

 2019.12.01

 「桜を見る会」をめぐる、安倍政権の「道徳的堕落」が露わになっています。 反社会的勢力の参加、「前夜祭」の収支、証拠隠滅など次々と疑惑が浮上するなど、政治の私物化は底なし状態です。 この政権(第2次安倍政権)が強引に始めたのが「特別の教科 道徳」であることを忘れてはなりません。 自らの不道徳は棚に上げ、子どもたちに「道徳」を強要する、それ自体が道徳に反しています。 「特別の教科 道徳」の正体が垣間見えます。

 一方、ローマ教皇フランシスコは、核兵器について「使用だけでなく保有についても倫理に反する」と表明しました。 今、子どもたちが学び培わなければならないのは、このような倫理観ではないでしょうか。 「民主的な道徳教育」の根幹を成す普遍的な道徳的価値がここにあります。

2019.11.01

「学校における道徳教育は、学校のあらゆる教育活動を通じて行われるべきものである」ということが、「学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」においても強調されています。 「道徳と科学の結合」、「道徳と生活の結合」なくして道徳教育は成り立たないことから考えれば当然といってよいでしょう。 それは同時に、日常の教科指導のほかに「子ども参加の学級づくり」が重要であることを示しています。 学級づくりに、どのように子どもを参加させるのか、何を大切なものとして位置づけ、どのような指導を展開するか、それが「特別の教科 道徳」の授業内容とどのように補完しあうのかなどを視野に入れた指導が必要になってきます。 道徳の教科書を「機械的にこなす授業」ではなく、より工夫された授業が求められます。

2019.10.01

いじめの定義は変遷しています。 「いじめ防止対策推進法(2013年)」では「一定の人間関係にあるほかの児童生徒が行う心理的または物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む)で、行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と定義しています。 かつては、加害者の立場、加害の程度、被害者の苦痛の深刻さなどを厳格に定義していましたが、その結果、いじめと認定されずに命を絶つ子どもがあとをたちませんでした。 現在の定義は、より被害者に寄り添う立場であり、文科省も、「初期段階からきちんと対応してもらうための定義」だとしています。人権尊重の認識を深め、自他の人権を守るための手立てやふるまいをどう創り上げるかが、学校教育に求められています。

2019.9.01

教師が「これを教えたい!」と思うものを、子どもが「これなら教わりたい!」と思うものを教えることで、初めて「楽しい授業」の条件が整います。 それは決して面白いだけの授業ではありません。深い学びにつながる授業です。 長丁場の2学期。充実させるポイントは「楽しい授業」です。

さて、川口市の来年度の道徳教科書は日文に決まりました。道徳ノートの発問が三つから一つになって使いやすくなったという声がある一方で、各題材の出典(文章の出所)の記載が削除されるなど後退した箇所も指摘されています。来年4月には改善したものが子どもたちに届くことを強く望みます。

2019.7.01

来年度の教科書について、各学校では検討が進んでいることでしょう。 教科書の内容や使いやすさ、別冊道徳ノートなどもふくめて丁寧に検討されることが望まれます。 学期末を迎え、多忙を極める学校現場では限界があることは承知の上ですが、どの教科書を使うかは授業を規定する重要事項であり、先生方のご意見が尊重され反映されることが何より大切なことです。 「どの教科書も似たり寄ったり…」という声も聞こえてきそうですが、教科書会社ごとにかなり違いがあり、特色があります。 「考え、議論する道徳」を念頭においてのご検討を願うところです。

2018.10.30

201810月2日、柴山昌彦 文部科学大臣は就任記者会見で、教育勅語について、「今の道徳教育に使うことができる分野は十分にあるという意味では、普遍性を持っている」、「現代的にアレンジして教えていこうという動きがあると聞いているが、検討に値する」と発言しました。戦後、教育勅語は国会で排除・失効となったものです。文科大臣としての見識を疑わざるを得ません。

 次のニュースは、教育勅語の問題点を指摘しています。ご覧ください。

 201748日 TBSテレビ 報道特集 

戦前への回帰?
育勅語の使用「否定されず」
 

キャスター : 膳場 貴子、金子茂紀、日下部 正樹 

金子 茂紀 キャスター 

 政府は先週、戦前戦中に教育の根本理念だった教育勅語について、教材として用いることまで否定されるものではないとする閣議決定を行いました。時代に逆行するような動きに野党は反発を強めていますが、一体、今、何が起きているのでしょうか。 

(ナレーションと幼稚園児が教育勅語を暗唱する映像) 

 国有地の払い下げが問題となった森友学園。幼稚園児たちに教育勅語を暗唱させていた。今、教育勅語に対する政府の姿勢が論議を呼んでいる。

 

稲田 朋美 防衛大臣 

教育勅語の中の、例えば親孝行とか私は非常にいい面だと思います。文科相が「丸覚えをさせることに問題がある」ということに関してはどうなのかなあと思う。 

(先月には)教育勅語の精神、日本が道義国家を目指すという精神は、今も取り戻すべきだと考えている。 教育勅語自体が全く誤っているというのは、私は違うと思う。 

 

(ナレーション) 

 稲田防衛大臣は、教育勅語を肯定するような発言を繰り返した。 

 さらに、政府は先週、教育勅語を教材として用いることを否定しない、とする閣議決定を行った。 

 

菅 義偉 官房長官 (記者質問:「教材として用いることへの反発もでているが」に対して) 

 日本国憲法および教育基本法の制定等をもって法制上の効力は喪失している。 

一方で、教育勅語には親を大切にする、兄弟姉妹は仲良くする、友だちは互いに信じ合うなどといった項目もあることも事実。憲法や教育基本法に反しないような適切な配慮の下で取り扱うことまで否定することはない。 

 

金子 茂紀 キャスター (東京の区立小学校入学式の校門前) 

 今、教育勅語といった大昔の言葉が論議されています。戦前の教育に回帰するのではないかといった懸念の声も聞かれますけれども、一体何がおきているのでしょうか。 

(*その後、保護者へのインタビュー:ある父親「そういう難しいことはわからない」、ある母親「小さいうちからそういう固定観念が植え付けられてしまうのは怖い」))

 

(ナレーション) 

 今、注目されている教育勅語とは一体どのようなものなのか。 

1890年 教育勅語発布 君主に奉仕する臣民の教えとして明治天皇から示され、戦前・戦中教育の根本理念とされた。父母孝行や兄弟仲良くなどと書かれているが、本質とされるのはこの一文だ。 

    「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」 

国の非常時には天皇のために命を懸けよ、という意味だ。

  戦後、民主教育に転換する教育基本法と、天皇を象徴とする国民主権の日本国憲法が制定。教育勅語は、1948年、国会で排除・失効が決議された。 道徳教育に詳しい立教大学の元教授、藤田氏は83歳、戦時中に教育勅語を暗唱させられた。 

 

藤田 昌士 氏(元 立教大学教授) 

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ‥」こういう言葉に始まって、全文は殆ど覚えています。 

これは修身の教科書の復刻版、4年生以上の教科書には冒頭に教育に関する勅語があって

(ナレーション:45年生にはふりがな付きの勅語が。6年生のものにはふりがなは無い。)

つまり、45年生のうちに暗唱して、6年生ともなればふりがなが無くても読めるようにするというもの。 

(ナレーション:藤田氏は、教育勅語には正しいこととも書かれているとする政府の姿勢を強く批判する。) 

教育勅語は、政治上の君主の名において道徳を命令するというもの。 

全ては天皇に対する忠義に従属し、その一点に収斂するという価値体系、価値構造を成していたということは、正確にご理解いただきたい。 

「良い徳目もあるではないか」ということは欺瞞的な発言であり、価値構造から切り離したつまみ食いは教育勅語にとってはできない。 (注 取材メモより「教師用書」参照)

 

(ナレーション:藤田氏は、教材としての使用を否定しないとする今回の閣議決定に強い危機感を持っている。)

藤田氏

閣議決定で学校の教材にまで踏み込み、教育勅語復活への道をひらくものとして、初めてのこと。 

安倍内閣の戦前回帰的な教育政策の端的な表れ。 

戦争放棄という憲法の下で70年あまり過ぎてきたが、犠牲になられた方々の思いを受け継ぎながら戦前回帰的な道を許してはならないと思う。

 

船田 元 衆院議員(46メールマガジン) 

私はいささか違和感を覚える。 

戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない。 

ことさら勅語を教材とする理由が見当たらない。 

 

鈴木 邦男 氏 元一水会(民族派団体)代表 

どこでもやっていないじゃないか。のりこえているんですね。それはもう過去のことだと。 

教育勅語は右翼にとっても、もはや過去の物。 

もし愛国心ある、日本が好きだって言うのならば、日本のこういう部分が好きだとか謙虚だからいいよねとか、そういうのを自分の心の中で思っていて、それでいいんじゃないですかね。 

僕は50年くらい愛国運動をやっていますから、俺は愛国者だっていう人は1万人ぐらい見ていますよ。でも大声で言う人っていうのは全部インチキですよ。 

戦前の価値観を肯定しているように見える日本の右翼団体も教育勅語暗唱には否定的。 

教育勅語を子どもに暗唱させているそういう現場に行ったら、首相はそういうのはやめろと、そういうのはもう昔の話なんだと、今は違うんだと、違う教育をやってんだと、それをきちんと批判して教えるべきですね。 

日本の教育を守ってるとか、愛国心を守っているとかいう人に感動すると‥。でもそれは愛国心のはき違えですよね。日本らしさ、過去を取り戻せって‥、過去を取り戻して切腹もお歯黒もちょんまげもやるのかって、そんなことないでしょ。そういうものはもう使命を終えたものですよ。教育勅語もそうですよ。 

 

1958年の映像とナレーション 

道徳教育の講習会へ向かうバスを阻止しようというデモ隊と警官隊が激しく衝突。戦後版の教育勅語になるなど強い反対の声が上がる中、この年、道徳が「教科外の活動」として小中学校で始まった。その道徳教育が今、新たな局面を迎えている。 

先月(3月)24日、文科省は小学校道徳教科書の検定結果を公表した。これまで道徳は、成績評価はされず教科書検定もなかったが、来年度からは特別の教科として格上げされ、成績評価がつけられる。 

今回の検定で合格したすべての教科書でいじめ問題が扱われた。その一方で、ある修正が明らかになったことで議論が巻き起こっている。 

 

・「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」という学習指導要領に照らして扱いが不適切、との検定意見がつけられた。教科書会社はパン屋さんから和菓子屋さんに修正し、合格となった。 パン屋さん  和菓子屋さん 

・高齢者への「感謝」を学ぶという学習指導要領に照らして 扱いが不適切 

  小1 しょうぼうだんのおじさん → おじいさん 合格 

 

俵 義文 氏 (子どもと教科書全国ネット21事務局長:教科書出版会社の勤務経験あり) 

修正点の中身については教科書会社(教科書編集者)が教科書調査官と何回もやりとりして「だいたいこういうことなんだな」といわば忖度するというか、感じ取って修正するしかない。 

教科書検定の仕組みから言って「こう書け」と言うのはできない。それをやると憲法違反。表現の自由に対する介入。だから教科書調査官は言わない。 

教科書会社は自分たちの判断で、結果的には、しかし、そこには国、つまり教科書調査官の意志をどこかで反映している。反映させなければ通りませんから。検定に。 

 

(ナレーションと映像)

2006年 第1次安倍内閣 愛国心を教育目標に盛り込んだ「改正教育基本法」を成立させた。

2007年 官邸主導の教育再生会議で「道徳の格上げ」が提言された。

 

安倍総理 「ニッポンを世界の真ん中でかがやかせる」 

     「子どもたちこそわが国の未来そのもの」

 

俵 氏 

国定教科書「修身」1941年から使われた2年生修身「ヨイコドモ」より 

 日本 ヨイ 國、強イ 國、世界ニ カガヤク エライ 國

 というのがあって(絵を示しながら)、安倍さんは、今の日本をどうするか、教育をどうするか、というときに、こういうイメージでやっていると思う。

 加藤 宣行 氏 (筑波大附属小教諭) 

13年前から道徳専門の教師として全ての学年に道徳を教えている 

パン屋だろうが和菓子屋だろうが、アプローチ次第だ。 

本質的なものをしっかり考えさせるモトがちゃんとあれば、どんな教材だって生かせることはできる。逆にそれがないと、うまく教材を作ったとしても結局子どもの心には響かずに終わってしまうのではないか。 

考え、議論する道徳への転換には賛成。 

道徳教育の意義は、より良く生きるにはどうするかを深く考えることにある。教材の文言について細かく言うことは些末な議論でしかない。教科書を教えるのではない。教科書を使って考えるきっかけをもとにして学びを深める発想にもっていかないと。 

何をどうすれば、とか、こういう内容項目だからこれをとかいうのは、どうでもいいことなのになあ、と思う。そっちより、もっと考えるべきことがあるでしょ。 

 

膳場 貴子 キャスター : 学校でやるべきことは 

道徳の授業の意味を考えると、教材をこまごまといじることに労力を使うよりも、目の前の子どもにきちんと向き合ってほしい。 

一方で、教科書だけをたよりに授業する先生も、与えられた模範解答を覚えようとする子どももいるでしょう 

今回の検定のように郷土愛をすごく狭く捉えたり、憲法の精神に反する教育勅語を用いたりすることが、どんな影響をもたらすのか、現場の先生がたには問題意識をもって考えてもらいたい。 

 

金子 茂紀 キャスター(藤田昌士氏から聞いた話を紹介する形で) 

国会で排除失効が決議された際の参議院文教委員会で羽仁五郎氏が 

「教育勅語がいかに有害であったかということは、道徳の問題を君主の命令によって強制された、というところに大きな間違いがあるわけでございます。」 

幹部職員の再就職先を、天下りを、斡旋していたような文科相が、子どもたちに道徳を説くような資格はあるのだろうか。 

 

日下部 正樹 キャスター 

教育勅語の「勅」は、中国の皇帝が下す法律や命令のこと。明治憲法下で天皇が臣民に下す意思表示。 

教育勅語ということば自体が、主権在民である今の日本には受け入れがたいものであって、それを、国民が選んだ国会議員が安易に礼賛したり、受け入れたりするということは非常に無神経なことだ。

 

 以上(パン屋、和菓子屋へのインタビューなど一部割愛) 

 

注 取材メモより 国民学校期、文部省『ヨイコドモ上』(第一学年用)の教師用書(1941 年)から 

「皇国臣民としての道徳は、教育に関する勅語に拝誦し奉ることのできるやうに、すべては天壌無窮の皇運を扶翼し奉らんとするところに帰着するものでなければならない。孝も友も和も信も恭倹も博愛も、その朝宗(集まり注ぐこと-藤田注)するところは忠であり、天皇を中心とし奉ることによって天壌無窮の皇運を扶翼すべきものである」 

(仲新・稲垣忠彦・佐藤秀夫編『近代日本教科書教授法資料集成第五巻』東京書籍1982年、458~459頁) 

☆ ☆ ☆ 

資料 

1948年 衆院の排除決議 : 根本理念が主権在君ならびに神話的国体観に基づいている。基本的人権を損ない、国際信義に疑問を残す。 

1948年 参院の失効決議 : わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し(略)効力を失っている事実を明確にする。 

1981年 三角哲生文部省初等中等教育局長 : 教育勅語そのものを学校で教えることは適当でない。

2014年 下村博文文科相 : 主権在民の観点から文言は適切でない。そのものではなく、中身に着目し学校で教材として使うことは差し支えない。

2017331日 閣議決定 

教育の唯一の根本とするような指導は不適切。憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることは否定されない。 

201747日 義家弘介文部科学副大臣 (衆院内閣委員会) 

 

幼稚園など教育現場の毎日の朝礼で子どもたちが教育勅語を朗読することについて、「教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思います」と答弁。